叱られたい若者と成長したい若者
1970年代・・・
昭和50年代・・・
生まれの僕ですが
驚きなのが、叱られたい若者が
多いといわれるアンケートです
僕らの世代は、親はもちろんですが
学校の先生から竹刀で叩かれたり
無駄話をしたら
大きいクリップなどで
口を挟まれていました
大きなクリップは
相当痛いです
その授業中はしゃべれなくなり・・・
げんこつや耳とほっぺたを
引っ張られたりしていました
生徒だった僕が感じていたのは
先生によって違ってはくるのですが・・・
その行為が本当に
「生徒にとって良いこと」
と思ってやっているように
感じる先生からは・・・
確かに、「愛情の躾」
のようなものはありました
一方で・・・
何かと感情的にしかならないような
分かりにくい先生もいて・・・
あそこまでいくと・・・
叱っているのか?
怒っているのか?
ストレス解消なのか?
疑問に感じてしまいます
教科書を忘れたり・・・
少しおしゃべりをしたり・・・
”うとうと”と居眠りをしたり・・・
このような時は
痛みと共に
鉄槌を受けていました
今より厳しい
規律のなかで
育てられました
叱られるのも、叩かれるのも、
引っ張られるのも嫌でした
僕達は、そのような環境から
育って行った世代かと思います
もちろん・・・
地域によって
違いはあるでしょう
家庭が厳しかった人
祖父母が厳しかった人
兄弟が厳しかった人
色々でしょうが・・・
いずれにしても・・・
きっと、散々、
叱られ続けました
そうやって大人になってしまうと
叱られるのはもううんざりって思います
ところが・・・
あるアンケート調査では
意外な興味深い内容となっています
なんと、ビックリです
「叱られたい若者が多い」
となっているアンケート結果です
新入社員が対象のアンケートです
- 正当な理由があれば叱られたい
78.5% - 叱られる事は自身の成長に
おいて必要 87.7%
以外にも、しっかりと中身を見ていたり
前向きに受け入れようとしています
叱られて自己成長したいと思っています
叱られて気付きを与えてもらい成長する
ことを望んでいます
そして・・・
前向きに行動を変化させたい
と思っているのです
何事もそうですが・・・
大切なのはラポールです
ラポールとは、信頼関係です
つまり・・・
- 信用あってのお叱りと成長です
- 無償の愛のようなお叱りです
- 叱る人も尊敬されている必要が
あります
ただただ、お互いの信頼関係なしに
叱っても関係性は悪化します
例えば、「お前は本当にばかやろうだな」
などと言われて愛情を感じるのか?
それともバカにされている気分になるのか?
などなど、お互いの信頼関係から
解釈や受け取る感情は変わります
人間関係の距離感も重要ですね
上司や先輩やメンターは、愛を持って
叱る事でしっかりとフィードバックを
設けて若者を成長させるべきだと
いわれます
ところが・・・
そうは言っても、現実は自分の事だけで
いっぱいいっぱいの人が増えています
次回に続きます
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